夜8時頃、本日二度目の吉本興業での打ち合わせに出かけようとしていたとき、家のチャイムが軽やかに鳴る。
覗き穴から見ると、知らない若い兄ちゃんの顔。
恐る恐るドアを開けたのだった。
「こんばんは~ 今、不要のダンボールとか古新聞とか雑誌を回収してます。ありますか?」と元気のよい爽やかな笑顔。
「素敵なタイミング」とはこのことだ。ニトリで購入した押入れ収納ケースが2箱、今日納品されて開梱もせずに放置したままだった。
「タイミングがいいね~あるよ」と言いながら、箱をバラして兄ちゃんに渡す。
そのまま大人しく帰るのかと思いきや、兄ちゃんは、完全に家の玄関内に体を入れてきていて、
「実は、うちY売新聞の回収サービスなんかもやってまして、Y売新聞ってどういうイメージ持ってらっしゃいます?」などと言う。
シマッタ!これは新聞の勧誘だ!すぐさまピンと来る。
こういう前説で、乗り込んでくるのか・・・などと驚きつつも、こちらとしては、この雨の中、新宿まで出かけなければならない。新聞勧誘などにかまっている暇などないのだ。
しかしながら、質問には答えてやらねばなるまい。
「Y売新聞のイメージかぁ 巨人軍?」などと当たり障りのないことを言いつつ、追い払う言葉を探り始めたタイミングで、
サッと目の前に差し出されたのが、
トイレットペーバー2個。
そして、彼は続ける。
「新聞は取ってらっしゃいます?」
実は天下のA新聞をすでに購読している最中である。A新聞の配達兼営業の人の良さそうで、どこか弱気を含んだ頼りない笑顔が脳裏をよぎる。
兄ちゃんよ、来るのが一足遅かったようだな。俺は決して浮気はしない。
そう、固い男なのだ。
「A新聞取ってるよ。最近引っ越してきたばかりでね。来年まで契約してるよ」
これは効いただろう。来年まで契約している相手には手も足も出まい。
しかし、彼は落ち着いて足元にある紙袋から何やら取り出そうとしている。
そして、出てきたのが、洗剤2個。
「いや~自分17才なんすけど、今日一日中、雨の中を回って成果ゼロなんですよ。このままでは帰れないんすよね~」屈託のない笑顔が言う。
「は?17才?マジで?」
ヤツの差し出す洗剤をなすすべもなく受け取ってしまう。
「はい!17才です!荷物重いし、引越し祝いの気持ちを込めて、これもどうぞ!」
2キロの米がふたつ。目の前に。
オマエは、ドラえもんか・・・
とは言えず、
このわずか数分のうちに差し出された品物を頭で反芻する。
トイレットペーパー2個、洗剤2個、2キロの米が2袋。
年内は米と洗濯には困らずに済みそうだ。
「いやいやいやいや、悪いよ。そんなに貰っちゃ気の毒だし、それにうち今、Aだから」
などと抗ってみたところで、貢物の連打で、もはやほとんどノックアウト寸前の形勢。
そんな相手に自称17才は容赦なく畳み掛けてくる。
「A新聞さんとは来年のいつまでの契約ですか?」と。
ヤツは本物のハンターだ。しかも相当のプロだ。おそらく、17才というのは嘘だろう。
「ちょっと待ってね。契約書確認するから」
よしんば17才が本当だとしたら、ヤツは幼少の頃から新聞拡張営業のプロとなるべく血の滲む壮絶な英才教育を受けてきたに違いない。そんな拡張営業のエリートに、素人の俺が勝てるわけがないではないか。
「来年の2月いっぱいになってるね」ヤツに伝えると、
「じゃ3月から取ってもらえます?」
何?何だと?「もらえませんか?」ではなくて、「もらえます?」だと?
もうそこにはあたかも俺が契約することを折り込み済みの甘美なニュアンスが含まれているではないか。無駄の無い計算され尽くした恐るべき冷徹な話術だ。
「ボク、半年契約って言ってもらえると、今日帰ったら会社からいっぱいおこずかいが貰えるんですよ~」
おこずかい?
ヤツはやっぱり17才のチェリーボーイだ。間違いない。
そして、チェリーボーイは大胆にも最後の仕上げに入ったようだ。
片手に来年のカレンダーを、もう片方の手には、契約書らしき色つきの紙。
「お願いできます?来年の3月から半年で」
「うん。いいよ」
俺は力なくカレンダーと色つきの紙を受け取ってしまう。
そして、ヤツは、必要事項を記入しようとする俺に、緩めることなく更なるトドメを差しに来た。
「1年って言ってくれたら、ボク、もっとおこずかい貰えて、すっごく嬉しいんです!契約取らないとボクなんにも貰えないんです。完全歩合なんで!」
と言いながら、トイレットペーパーが、さらに2個。
単なる尻拭き紙にこれほどの重圧を感じたことが今までにあっただろうか。
この重さに耐えかねて、俺はあえなく完落ちした。
完敗だ。
完膚なきまでのコテンパンのフランスパンだ。
韻を踏んでいる場合ではなかったのだが・・・
色つきの契約書に1年契約のサインをしている無残な敗者を見ながらヤツは、
「ビール飲まれます?」
「いや、飲まない」
「でも、もしあれば、飲まれます?」
「そりゃまぁ あれば飲む。かな?」
「1年にしてくれたんで、ボク、会社に内緒でビール1ケース宅急便で送ります!」
17才よ。チェリーボーイよ。
そこまでして勝ちっぷりを誇らなくてもいいのだよ。
負けて、すがすがしいとはこのことだ。
決して悔しいなんて思わないさ。
そりゃあ、くれるものは有難くいただくさ。ああ、もらうとも。
そうだ!
Y売新聞にしか聞けない質問を、ふと思いついた俺はヤツに聞いてみた。
「巨人ー阪神戦のチケット手に入る?」
まさに神のなせる業だったと言えよう。
このセリフに、ヤツの目に微かな動揺の色が走ったのを、俺は見逃さなかった。
「あ~~入るときは入るんですけどね~」と、ヤツは、さりげに言ったが。
17才よ。チェリーボーイよ。
俺は、君に一矢報いたのを確認した。
それで十分だ。
まだまだ俺も捨てたものではない・・・
来年3月から再来年の2月まで、
気持ちよく、Y売新聞を読むことができそうだ。
こうして戦いは終わったが、
俺のリアルな、新宿の戦場には、遅刻した・・・
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